うぐいすハーモニカ

日記というより備忘録。何を書いても結局ミッチーこと及川光博氏の話をしてしまう系ベイベー。らぶ。

言わない気持ちは無いのと一緒

とあるきっかけから、倉橋ヨエコ氏の「方程式」の一節を思い出した次第です。

めちゃくちゃ好きな歌なんです。歌詞もそうだけど、仄暗い雰囲気の中、全力でもがく感じが、ほんとツボで。

で、なんでそんな話をしたくなったかというと、ふと10年前の自分を思い出しまして。

ぴっちぴちの大学生だった私は、当時狂ったようにミ○シィを更新していました。いや、それも最初だけでこのブログと同じぐらいのテキトーな更新頻度ではあったけれどw

当時と今とで、圧倒的に変わったのは、言わなくていいことを(比較的)言わなくなったこと。

当時の私は、何か嬉しいことが起こったり、腹が立ってたまらないことがあったりしたとき、その全てをネットの海に解き放っていて。喜怒哀楽のはっきりした、やかましい文章で、思いの丈を余すところなく書き殴っていて。

今から思えば、それは全てアナログに残すべき日記だったなあと。

というのも、現在の私(≒もはや他人)が読んだとき、めちゃくちゃ不愉快になったからです。なんというか、遠慮もへったくれもない乱暴な語彙や、えっなんでそんな話しちゃうのカッコイイとでも思ってんのかキッツ、と品性を疑うような内容が、とにかく読んでて痛みを伴ったからです。私で無理なら真の他人が読んだ時もっとキモかろうと思うので、本気であの時の自分にお説教したい。

色々あって私もあの時よりは大人になり、少しは客観性が身についてきたので、「これはわざわざ言うべきじゃないな」という事柄や、おとなしい語彙を選ぶことを学び、のらりくらりとネットライフを満喫しております。

もちろん、完璧になれたとは思ってません。今でも不快な思いをさせてしまうこともあると思います。でも当時よりは絶対マシになってるなと確信できます。それぐらい当時の自分が苦手。きらい。

なぜあの時の私は、黙れなかったのか。なぜ感じたこと全てを書かずにいられなかったのか。

アホ…もとい想像力の欠如と言ってしまえばそれまでだけれど。まあ実際そうだったんだろうな。キングオブ自己中だったもんな。今も本質は変わってないと思うけれど、少なくとも黙ることは覚えたので、文章の印象が全然違ってるはず。

「言わない気持ちは無いのと一緒」というのは、他人から見ての話。アウトプットしなくったって、自分の気持ちは無くなったりしない。でも、もちろん他人にとっては無いのと一緒。醜い感情や、乱暴な言葉だって、表に出さなければ相手を傷つけたり不快にさせたりすることはないはず。

歌詞の文脈的には、LOVEを伝えるかどうかの話なので、この解釈は敢えての脱線ということになりますが、好意だろうが悪意だろうが、結局は同じことなのかなって。

だんだんとっ散らかってきたけど、当時の私に言いたいのは、

「思ったこと全てを声に出さなくていいんだよ、マイナスなこと、棘を孕むことなら特に。客観視したときに痛みを伴う言葉なら黙るが吉だよ。その情報を相手が本当に知る必要があるか、発する前に一旦考えてごらん。黙る勇気を持ってごらん」

…といったことかなー。吐いた唾は飲めない、という言葉は当時も知ってたはずなのになー。若さ、いや、青さ故ですな。

文脈は全く関係ないけれど、某会でカーディガンがめくれて盛大にテンパってる私にミッチーさんが言ってくれた「死にゃあしないよw」という言葉を胸に刻んで生きていきますねほんとね。死にゃあしないよ、いちいち言い返さなくたって。はーお説教したい…(しつこい)

よし、以上です。バースデーイベントは後半のに当たったよ嬉しいありがたい!行きも帰りもバスを利用することで交通費を限界まで節約しちゃおう♡wでは、また。