うぐいすハーモニカ

日記というより備忘録。何を書いても結局ミッチーこと及川光博氏の話をしてしまう系ベイベー。らぶ。

父について。

最近の瓶人さんを見ていると、愛おしさと同時に、私にもこういう思い出が欲しかったな〜という寂しさを感じるので、心のままに更新してみる次第です。本日より赤シャツウィークに突入(分かる人には分かる隠語)なので無駄にセンチメンタルなタッチになりそうな気もしますが。

私の実父は、いないもいっしょです。辛うじて覚えているのは、ぱそんこでゲームしてるのをちょっとやらせてもらったり、夜食のチキンラーメンをちょこっと分けてもらったり、車に置きっぱなしだった熱された100円玉を太ももに乗せられたり(虐待でなく熱さの感じ方の実験ですw)、その程度の記憶。遊んでもらった思い出は、全一種。コンプ余裕(オタク脳)。

幼少期に交わした会話はもちろん、手を繋いだ記憶も、肩車してもらった記憶も、こう、いわゆるパパ〜✨って感じの思い出は皆無なのです。少なくとも私が小学生の頃までは同じ家に居たはずなのに。

「俺はいらんで」

これは、父のセリフ。夜食の誘いを断った時のものではありません。母から、私を身ごもったことを知らされた時のものらしいです。つまり彼にとって、当時の私はチキンラーメン以下でした。

私が、男性は好きでも「雄」が苦手だと感じてしまう原因は、この辺りにあるのかもしれません。なんというか、性的な言動に対して、文脈問わず生理的に拒否感を覚えてしまうのです。プラトニックラブしか信じられないせいで、無駄に傷ついた経験も少なくない。つくづく、そんな私が何であんな性の権化みたいなアーティストにハマったんでしょうね。

や、私のベイベーへの入り口はあくまで神戸くん→ごあへであり、お茶目で父性のある人だと思えたから好きになれたんだろうな。パパ〜✨(概念)ってなったんだろうな。多分最初に聴いた曲がエロ炸裂路線だったら、即拒否感が芽生えてしまって、そのまま苦手な人にカテゴライズしてしまっていたと思います。数ある楽曲から、よくぞごあへを引き当てた。ナイス運命。

ちなみに、ミッチーさんのえっちなパフォーマンスも例外でなく激烈に苦手で、未だに目撃する度に固まってしまいます。ミッチーさん自体は大好きだし、万が一そんなリアクションが目に入ったら盛り下がると思うので、真ん中ベイベーぐらいまでの時は頑張ってキャーキャー言うように努力していますが、後ろベイベーの時は顔死んでると思います。許して。

話がやや逸れてきましたが、とにかく私にとって、幼き頃の父との思い出というのは、ほとんど持っていない分、泣きそうなほどに眩しくて羨ましいものなんですよね。

愛情については、母から、父の分まで何倍も貰っていたし、高校の頃ぐらいから最高のNEW父も居てくれたおかげで大満足です。でも。それでも、ベビーカーを押す男性や、肩車されてキャッキャはしゃぐお子と道ですれ違う度、微笑ましく思いつつも、掻き毟られそうな寂寥感に苛まれるのも事実です。そして、そう思ってしまうことに対する罪悪感も。いいな〜!それちゃんと覚えておきなよお子達よ〜!プライスレスなやつだぞ〜!

 

よし、言語化したら少しスッキリしたので、以上です。まあ瓶人さんとアメリーちゃん観てる瞬間とかは「は?天使か???」ぐらいしか考えてないので呑気なものです。脳のメモリーが少ないことに感謝。では、また。